ヤージュニャヴァルキヤは理論だけの結論ではなく、「主体と客体の非二元性」を体得していたかもしれない。しかし、オリンピックの名コーチが必ずしも金メダリストとは限らないように、ヤージュニャヴァルキヤは伝授する手法を確立できなかった。
正覚者ガウタマ・シッダールタは、アーラーラ・カーラーマ仙の修行を終えたあと、ウッダカ・ラーマプッタ仙にも弟子入りし、「非想非非想処」をも体得した。しかし、それでは「さとり」だとは納得せず、その後も苦行を続けた。
この時点ではまだヤージュニャヴァルキヤのレベルには達していない。なぜなら、苦行自体がヤージュニャヴァルキヤが考案した修行方法だからだ。シッダールタはヤージュニャヴァルキヤを信じた。信じて、師をもたず、仲間5人と7年(のちの経典では6年)もの苦行を続けた。
そして、シッダールタはある結論に達した。「苦行では、さとれない」と。
シッダールタはついに最大の哲人ヤージュニャヴァルキヤさえも、師とは認めないことを受け入れる。何年も命を懸けて信じ続けて修行してきたのに、人間の苦しみをなくしたいという理想のために、心の師ヤージュニャヴァルキヤを見限ることはどれほどつらかっただろうか。人生を懸けて信仰の道に進んでいた人が、信念のために信仰を捨てる人がほとんどいないように、信じ続けていたもの、信じ続けてきた人をあきらめることは、たいていの人はできない。
仏伝のなかでこの場面は仏教徒のあいだであまり話題にならないが、苦行を続けることよりも、それほど苦しい修行をしたあとで、無駄だったと受け入れることのほうが、精神崩壊するほどおそろしいことなのだ。人の心を見失ってはいけない。シッダールタの心、シッダールタの本当の苦しみを、あなたも人であるからこそ知らなければならない。
その証拠に、シッダールタはこの大きく壮絶な苦しみを乗り越えたすぐのちに、さとりを開いた。これを成道したともいう。人は大きな絶望のあとに、夢をかなえることが、歴史上の多くの偉人たちが証明している。
次回、シッダールタが唯一見つけた「主体と客体の非二元性」を実現する方法を、経典から引用して解説しよう。
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