「主体と客体の非二元性」=初歩的な気づきを保てる「さとり第一段階」

非二元(ノンデュアリティ)の本題にやっとたどり着いた。ここまでで非二元が大乗仏教とヒンドゥー教を起源だとするのは誤りであることをわかっていただけたと思う。正しくはブラフマン教(バラモン教)の古ウパニシャッドとその正統な流れをくむ正覚者ガウタマ・シッダールタの根本仏教である。

シッダールタが「耽溺を耽溺として、患いは患いとして、出離は出離として、如実に知った」ことが「さとり」だと語ったことが原始仏典には書かれている。
それが非二元の「主体と客体の非二元性」とどうつながるか、あなたにはわかるだろうか。
もちろんすでに覚醒した方ならピンとくるかもしれない。まだ覚醒していない方は、覚醒のためのヒントになるだろう。

まず「主体と客体の非二元性」ができていないケースを考えてみよう。
主体と客体の非二元性ができていないということは、分離が起きているということである。それは「見ている私」と「見られている対象(物や人)」が分離しているということである。それはごく一般的に考えるなら、当たり前のことである。
しかし、シッダールタと非二元ではあなたが「見ている私」だと認識している「私」は本当に存在しているものなのかと問いかける。

よく考えてみてほしい。「私が私を認識している」と私たちは当然のことのように思っているが、この世の中でトラブルを起こしている人間はみな「こんな私」といった「自分で作り上げた思い込んでいる私」を押し付けてくる人々である。ナルシストや悲劇のヒロイン、ストーカー、被害妄想に取りつかれている人などである。彼らはわざとそうしているのではない。「こんな私」だと当然のこととして思い込んでいるのだ。

シッダールタは、ナルシストや悲劇のヒロインについては「耽溺」、ストーカーや被害妄想については「患い」と分類する。
非二元では、ナルシストが酔いしれる「自分自身のすばらしさ」や、悲劇のヒロインの「かわいそうで助けられるべき自分」、ストーカーの「愛するあの人から愛されるはずなのに愛されない自分」、被害妄想に取りつかれている人の「自分は悪くなく被害者だと認めてもらえる自分」など、各自が思い描いている自分はすべて「幻」とする。

このことを初めて知った人は「ちょっと待って。よい自己像もあるだろう?」と思われるかもしれない。しかし、シッダールタは「よい自己像」さえも「耽溺」とし、非二元も「幻」といいきる。

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