「非二元性(ノンデュアリティ)」とは「苦楽の二元性から出離すること」

そのまま見つめるとは、幸せになる方法を探しているとき「自分は幸せになろうとしているから幸せになれない」と見ることだが、シッダールタは質問者の心の中にある「耽溺」「患い」をひとつひとつ本人に確認していく。
たとえば、「社長になったら幸せになれる」と思い込んでいる青年がいたとする。彼は労働者を見下している。自分はちがうと考えている。彼のようなケースは、一般的には権力主義者に思われることが多い。
彼の「耽溺」「患い」をそのまま見つめるとはどうしたらよいか。

彼自身に「なぜ社長になりたいか」を問いかければ、少ない口数でも彼がもっとも伝えたいことを言葉にするため、すぐに「耽溺」と「患い」はわかる。よくみられるケースでは「大きな仕事をしたいんです」「自分の力で何かを成し遂げたいんです」「リゾートの大豪邸に住んで高級車を所有したいんです」「自由に生きたいんです」といった返答だろう。
それぞれの「耽溺」「患い」を箇条書きし、解説する。

  • 耽溺=大きな仕事をしたい。
    患い=器が小さい人間だとは思われたくない。
    仕事の大きさに一喜一憂する姿こそ、器が小さいと思われることを想像させる。
    器が大きいか小さいかにこだわることの二元が苦しみの正体と諭す。
  • 耽溺=自力で何かを成し遂げたい。
    患い=無能とは思われたくない。
    自身を酷使して体を壊したとき、成し遂げられない者と何がちがうか想像させる。
    有能か無能かの二元が苦しみの正体と諭す。
  • 耽溺=豪邸と高級車を所有したい。
    患い=貧乏とは思われたくない。
    失敗すれば借金だらけの社長になることを想像させる。
    経済力があるかないかの二元が苦しみの正体と諭す。
  • 耽溺=自由に生きたい。
    患い=人に指図されたくない。搾取されたくない。
    社長は組織の責任を負っており、自由はないことを想像させる。
    自由があるかないかの二元が苦しみの正体と諭す。

実際にはもっと複雑だが、ここでは簡略化している。
基本的には「耽溺」がわかれば、「患い」が自然に導かれ、本人に望んだとおりにはならないと気づかせれば「出離」は完了する。
その際、二元の「明暗」「前後」「左右」「上下」のように、「耽溺」と「患い」は一対の二元になる。「出離」とは「覚醒」である。
「耽溺」が強まれば強まるほど、「患い」も強まる。このふたつは裏と表であり、片方だけで存在することはできない。どんなにすばらしいものがあっても、それに執着すればするほど、手に入らない苦痛や失う恐怖が強まるのだ。

シッダールタは苦しみの二元性を説いていたのだ。

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