インド亜大陸から仏教が消えた訳

ブラフマン教(バラモン教)、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教を研究して、原始仏教の実際の姿を探りながら、なぜインド亜大陸から仏教が消えてしまったのかも調べていた。
インドの文化や風土を理解すれば、その真実は見えてくるだろうと私は考えていた。
ところが知れば知るほど、いっそう私を混乱させた。

ガウタマ・シッダールタやヴァルダマーナが生きた時代は、ガウタマ・シッダールタもヴァルダマーナもブラフマン教の修行者であり、指導者であった。ブラフマン教の在俗信者はガウタマ・シッダールタにも供養したり、ヴァルダマーナにも供養したりした。
ブラフマン教の修行者はだれの下(もと)で解脱するかを選ぶときに、ガウタマ・シッダールタやヴァルダマーナのほか、さまざまな指導者のなかから選んで弟子入りし、修行の完成を目指した。
仏教経典の中で、ブラーフマナ(ブラフマン教司祭)からガウタマ・シッダールタに真理とは何かを問いかける場面が多いのは、解脱できる師匠を選ぶためである。だれしも納得できる師匠の下(もと)で修業したいからだ。
現代の日本では信じ難いことだが、ブラフマン教も仏教もジャイナ教も、ほぼ同じ教義だった。ヴァルダマーナもブッダと尊称されていたし、ガウタマ・シッダールタもマハーヴィーラと尊称されていた。

ガウタマ・シッダールタとヴァルダマーナがそれぞれ寿命を迎えてから、後継者とその弟子たちはブラフマン教を否定する教義を前面に押し出した。聖者の歴史もブラフマン教とは異にし、解脱の方法もわれらのみぞ知るものとした。これは、わが師匠こそ本物と打ち出したからだと考えられる。
これはブラフマン教を敵に回す行為である。一指導者の教えでしかなかったはずの仏教とジャイナ教はそれぞれ一大勢力を形成し、王朝から国教に選ばれることこそなかったが、インド亜大陸のほぼ全域に影響力を持っていたからである。これは貨幣経済がインド亜大陸に現れて、商人たちがブラフマン教司祭よりも尊敬を集めたことが関係している。不殺生を勧める仏教とジャイナ教は、商人たちのニーズに合う教義であったことから、商人の取引を通じて一気に拡大したという。資産家たちからの寄付が特に集まるという事情も仏教とジャイナ教の組織運営に貢献した。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いである。
仏教に限っては、西はペルシャからエジプトにかけて、東は中国から日本にかけて伝搬していることから、海外から寄付が集まるほどの盛況ぶりである。インド亜大陸の中ではブラフマン教が主流であり続けたとしても、一指導者の一派でしかない仏教がブラフマン教を吸収する日が来るかもしれなかった。
それほど巨大化した仏教とジャイナ教が、本家ブラフマン教の教義を否定するのだ。ブラフマン教の存続の危機が目の前に迫っていた。
世界宗教として羽ばたき始めた仏教ではガンダーラを中心に異国の宗教とも交流し、ギリシャの神像に倣って仏像を作り始めたり、異国の神も仏法を守護する存在として崇拝の対象に取り込んだりした。こうすることで異国の信者を取り込む狙いがあった。これが多くの如来や菩薩を擁した理由である。

それでもなお、インド亜大陸全域では主流はブラフマン教である。なぜなら、ガウタマ・シッダールタもヴァルダマーナもブラフマン教指導者として活動していたからである。
問題は、本家ブラフマン教祭司ブラーフマナの権威の失墜である。このままでは、ほかのブラーフマナも仏教の後継者の弟子にならなければならない。しかし、それは許されない。修行途中のブラーフマナならまだしも、すでに尊敬を集めている立場にあるベテランのブラーフマナもいるのである。
ブラフマン教はこのままでは仏教化してしまう。もともとブラフマン教は、ブラーフマナが儀式をすることで神を操り、願いをかなえる宗教であった。在俗の人々の願いをかなえる役割なのである。それをまっこうから否定し、別の解決策を独自に打ち出したのが仏教であった。
ところが、大乗仏教で異国の神々を崇拝する信者を獲得する都合から、異国の神々を如来または菩薩として取り込み、在俗の人々であっても如来や菩薩を信仰することで解脱に少しでも近づけるとする傾向が現れた。結果的に、ガウタマ・シッダールタの神格化が始まった。到底、ガウタマ・シッダールタと同じさとりには至れないとし、信仰こそ解脱へと導かれる唯一の方法とまで信じられるようになる。
グプタ朝が北インドを統一した紀元4世紀にブラフマン教はこの大乗仏教の迷いを弱点として突き、ヒンドゥー教聖典となる『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』が完成した。トリムルティである三大神ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神に帰依するならば、神の慈悲によって解脱が与えられるとした。その際に仏教を打ち負かす決定打となったのが、仏教では異国の神が取り込まれて信仰対象がどんどん増えていくのに対し、ブラフマン教では在俗の人々が崇拝する対象をトリムルティの化身であるとして、なんでもトリムルティのおかげだということにした。ガウタマ・シッダールタさえもヴィシュヌ神の化身だとしたのである。異国化する仏教に比べて、インド古来の神に回帰するブラフマン教は仏教信者を安心させ、ブラフマン教に帰依させることに成功した。
ヒンドゥー教の誕生である。

とはいえ、新聞もテレビもネットもない時代である。インド亜大陸は広大だ。ヒンドゥー教としての新しい体制が整えられるのには時間がかかった。なにしろ仏教とジャイナ教では僧院を運営し、仏教では組織的に管理されていた。仏教の団結力は強く、管理されていないブラフマン教ではインド亜大陸の各地域で各自の論説を語るのみであった。在俗の信者の前で仏教の指導者にねじ伏せられてしまえばかなわない。
そこへ紀元8世紀にブラフマン教の聖者初代シャンカラが現れる。ブラフマン教のヒンドゥー教化をインド亜大陸全域で実現させた。
シャンカラはまず拠点となる4つの僧院を建設した。その僧院では、仏教の指導者に負けないアドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学を学べるようにした。ブラーフマナを組織化し、ブラフマン教のヒンドゥー教化を実現させたのである。
これはまさに、大乗仏教の教義にある「在俗のまま解脱を得られる」というアイディアが、ブラフマン教の欠点を解決するヒントになった。「ブラーフマナのみが修行して解脱できる」という制限をなくしてだれでも解脱できるとし、かつ、ブラーフマナの権威を失わない方法として「ブラーフマナに従って神を信仰することが条件」という一石二鳥の解決法である。仏教の世界宗教化による大乗仏教化は、皮肉にもブラフマン教の大乗仏教化であるヒンドゥー教を生み、大乗仏教は差別化できなくなって魅力を自ら失う結果になったのだ。

のちに、だれもが解脱を得られることから、神の濫用が始まった。マントラ(真言)、マンダラ(曼荼羅)、ムドラー(印契)のほか、クンダリニーやチャクラで代表される性的行為による神との合一が図られた。これらは聖典と無関係のものであり、由来がはっきりせず邪教とされる。しかしながら、手軽さから在俗信者に広く信奉された。これをタントラと呼ぶ。
同じことが大乗仏教でも起きた。大乗仏教では在俗の信者を再び獲得するためにタントラを採用した。これが秘密仏教、いわゆる密教である。性的儀式に違和感を禁じえなかった中国仏教では「これが本当に最先端の仏教なのか」と困惑したことが記録されている。日本には空海が伝えたが、国家権力がバックボーンの最澄から求められても日本が落ちぶれることを恐れて教えず、仲たがいしたことは有名である。
「信仰すれば、だれでも解脱できる」という大乗仏教化は、仏教もブラフマン教も消滅させ、仏教そのものも混乱に陥れ、性的インパクトにまで発展して、社会的価値観を揺るがせる事態を生んだ。インドでは主にヒンドゥー教シヴァ派のひとつシャクティ派が担い、信奉者が現代でもいる。中国では大乗仏教および密教いずれも消滅した。日本では大乗仏教が主流を維持し、密教は性的儀式を伏せて実践を避けた。

このように、部派仏教の大乗仏教化が、皮肉にも、ブラフマン教のヒンドゥー教化のヒントとなり、在俗信者の獲得を許して、仏教自身の存在価値を失ったからであった。
そもそも、大乗仏教はガウタマ・シッダールタの教えとは程遠く、ガウタマ・シッダールタ自身が望まないであろう、ガウタマ・シッダールタの神格化から端を発している。修行者の修行が目的であったはずなのに、在俗信者の利益を優先して、修行せずとも信仰心のみで解脱できるという暴論に達してしまった。
大乗仏教経典『妙法蓮華経』に書かれている「末法思想」は、ゾロアスター教の影響があった可能性があるとはいえ、大乗仏教そのものが原因であったというのは、ブラフマン教の台頭を許したことと併せて、もうひとつの皮肉である。

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