パキスタンとインド北西部にまたがるパンジャーブで牧畜をしていたアーリア人が、紀元前6世紀から紀元前5世紀にかけて、インド亜大陸先住民族ドラヴィダ人を征服する過程で形成された四姓制度。現代では異なる階級のあいだで結婚が禁じられているとされるが、実際にはイギリス植民地時代より前は自由であった。そのため、アーリア人とドラヴィダ人の混血が進み、ガンジス河流域の住民はアーリヨ・ドラヴィダ族に分類される。北西にアーリア人の純血が多く、南にドラヴィダ人の純血が多い。
アーリア人とドラヴィダ人の混血は、新たな文化を誕生させた。アーリア人が信奉したヴェーダ聖典にはヨーガや転生説がなかったが、これらはドラヴィダ人から取り入れたものである。ブラフマン教が分裂し、ジャイナ教や仏教が開かれるきっかけとなった。新しい時代はアーリヨ・ドラヴィダ族の社会から始まったのだ。
参考文献:『NHKブックス111 原始仏教 その思想と生活』
中村元・著
NHK出版・刊
1970年3月20日発行
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