仏教とジャイナ教の近似性

現代に伝わる仏教は、ガウタマ・ブッダが生きた時代のそれとはかなり違うものになってしまっている。中村元博士の算定によると、ガウタマ・ブッダの誕生は紀元前463年、入滅は383年であり、実に今から2482年前から2402年前の人物なのである。その時代から現代まで寸分の狂いもなく伝わることは無理な話である。

その神話の時代ともいえる古代に生きた人物が語った内容を推し量るには、後継者に伝わるテクストだけでは過大表現を避けられないため、第三者の記録も参考にすることが賢明である。
そこで、まず第一に注目されるのは、ガウタマ・ブッダ自身が信仰していたブラフマン教の後継に当たるヒンドゥー教に伝わるテクストである。しかし、残念ながらヒンドゥー教自体が日本にほとんど伝わっていないばかりでなく、ヒンドゥー教は仏教を異端としたため、仏教の教えを取り入れておきながら、その事実を隠蔽し、仏教そのものを排除する傾向が強い。その結果、伝統的にはガウタマ・ブッダを聖者として扱いながら、仏教の教えの内容には触れられなくなってしまった。

これらの事情はヒンドゥー教になってからのものであり、その前身のブラフマン教時代ではブラーフマナ(ブラフマン教祭司)からもガウタマ・ブッダは尊敬を集めていた。なぜなら、ガウタマ・ブッダはブラフマン教修行者としての立場だったからである。
同じような環境にあったのはジャイナ教である。ジャイナ教のヴァルダマーナもブラフマン教修行者の立場である。後世になってから、ガウタマ・ブッダとヴァルダマーナはヒンドゥー教から異端視され、それぞれ区別された宗教の扱いとなった。

したがって、ブラフマン教時代のテクストが重要になる。
ガウタマ・ブッダもヴァルダマーナも、ブラーフマナと向き合って修行と真理の探究の研鑽に明け暮れた。仏教でもジャイナ教でも、初期のテクストから当時のブラフマン教の姿が窺える。その内容は驚くほど似通っている。別の宗教だと思えば信じ難いが、当時はブラフマン教の一派でしかなかったとなれば、至極、当然のことなのである。そのことから、ガウタマ・ブッダが生きた時代の教えを知る手掛かりとして、ジャイナ教の初期テクストは外せないのだ。

ジャイナ教と仏教の教えを比べることで、ガウタマ・ブッダが語った教えを再現することは、完全ではないにしても難しいことではない。その必然性として、仏教聖典においても、ジャイナ教聖典においても、初期のテクストでは「正しいブラーフマナ」になることを目指しており、その理想の実現者は尊称として「ブッダ」「マハーヴィーラ」「アルハット(阿羅漢)」「タターガタ(如来)」と呼んでいることは共通しているのだ。ヴァルダマーナもブッダと呼ばれ、ガウタマ・シッダールタもマハーヴィーラと呼ばれている。ふたりとも「良きブラーフマナ」になるための指導をしており、ブラフマン教の聖者を目指した。

ジャイナ教の初期の教えを探ることは、そこにガウタマ・シッダールタが生きた時代の環境や常識、修行者の在り方が再確認できることを意味する。仏教聖典の最古層に埋もれた情報が掘り起こされ、ジャイナ教聖典と比較することで、ガウタマ・シッダールタが目指していたものと、ヴァルダマーナが目指していたものの共通点や相違点が見えてくる。そして、ブラフマン教からヒンドゥー教に変わることで失われたものや得たものさえも見えてくるのだ。

これが仏教とジャイナ教の近似性の重要性である。

参考文献1:『NHKブックス111
原始仏教 その思想と生活』
中村元・著
NHK出版・刊
1970年3月20日発行

参考文献2:『沙門ブッダの成立 原始仏教とジャイナ教の間』
山崎守一・著
大蔵出版・刊
2010年11月30日発行

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