記事「情性欠如の人はなぜ怒るのか」の続きです。
B美は常にA恵の身になって考えています。
しかし、A恵はB美の気持ちを一切考えていません。
これは「A恵が悪い奴だからだ」ということではありません。A恵なりに自分が正しいと思っているからです。
A恵にとってなぜ「A恵の正当化」が成功していると思えるのかが重要なポイントです。
「A恵の正当化」がどうしたらできるのか、皆目、見当がつかない人は「A恵が悪いに決まってるじゃん」としか思えないでしょうし、他の多くの人も自分と同じ気持ちだと思い込んでいるでしょう。
逆に、「A恵の正当化」がどうしたらできるかわかる人は、自分はA恵と同類だと思われないように振る舞うクセがついていることでしょう。しかし、自分は特殊だと思っていませんし、他の人も自分と同じだと思っていることでしょう。
この深刻さがわかりますか。
「A恵の正当化」がどうしたらいいか、見当がつかない人にこそ、受け入れたくないと思っても、目を背けずにこの事実を知る必要があります。知らないと、B美と同じ人生を歩み、傷つけられるからです。
A恵の正当化
A恵にとって、B美のやさしさや気遣いはさっぱり意味がわからないものに見えます。
なぜなら、A恵なら絶対にしないことだからです。
すると、A恵にとって「B美は何か魂胆があるから、A恵に取り入っている」と解釈します。
A恵は「自分が困ったときに、B美が助けてくれた」ことはありがたいと思っています。しかし、「なんでここまでしてくれるの?」と、内心とても警戒しています。
「私なら、こんなに真剣にやらない」という驚きと、「私がここまでするならどういうときだろう」と考えます。
「相手に気に入られたいとき? なんで私に気に入られたいの? 私のこと尊敬しているとか? 友だちになりたいとか? 気に入られたいわけじゃないなら、あとで何か頼み事があるのかしら? 頼み事をしてこないわねえ。気持ち悪いわ。はは~ん、さては何か後ろめたいことがあるのね。一体、あなたは私にどんな怒られることをしたの? 打ち明けてこないわ。なんなの? まさか、そんなに自分が仕事できる人間だと見せびらかしたいとか? 相当な玉ね」
A恵なりに考えに考え、B美のことが理解できず、あれこれと探ります。人間は理解できないものを見ると怖いのです。
B美目線の人は「人は助け合って信頼関係ができるんじゃない?」と言いたいかもしれません。
その助け合いって、「助けてもらったら、恩を覚えておいて、次はお返しに助けてあげないといけない」ということですよね?
それは本当に信頼関係でしょうか? 善意を強要するモラハラに陥っていませんか?
またはB美目線の人のなかには「そこまで悪い人だと思われていたなんてショック」と思う場合もあるかもしれません。
そのいい人、悪い人の基準こそ、悪意のない人に対しモラハラになってしまっていませんか?
ではA恵は誰を信用するのでしょうか。どんな人を信頼するのでしょうか。B美目線の人はわかりますか?
それは、A恵に善意をもつように強要しない人です。「手伝ってあげたから、次回、手伝え」とか「私、善人。あなたも善人でしょ?」といったプレッシャーを与えない人です。A恵にとって人間は誰もが善人でありたいけれど、善人になれないで苦しんでいるものだと信じています。善人に見える人は善人のフリをしているだけで、善人ではないと正直に振る舞う人こそ、信用できると思っているわけです。
そういうことから、A恵は仕事を楽しいことと思っていませんので、世の中で仕事が好きだと言っている人はみな尊敬されるための嘘か、本当に好きだとしても住む世界がちがう人だと思っています。
A恵が仕方なく残業しているとき、それを手伝ってくれるB美が「私たちにこんな思いをさせるなんて、上司はひどい」と怒らないことは、A恵には理解できません。
せめてA恵と同じように怒っていてくれていたら、A恵はB美が気持ちを理解してくれている人だと信頼できました。
しかしB美は怒っていないのです。上司に腹を立てず、仕事を一生懸命にやり、A恵とはちがう振る舞いをします。
それは「尊敬されるための嘘」いわゆる「A恵とちがって、私は仕事が好きですから」と演技で見せつけてA恵を見下しているか、「A恵に手伝ってあげることで恩を売って善意を強要し、いずれA恵を利用しよう」と企んでいるとしか思えないのです。
「なんてA恵はかわいそうな人間だろう」とB美目線の人は思うかもしれません。果たしてそうでしょうか。
B美目線の人は本当に善人なのでしょうか。完璧で、欲望はかけらもないのでしょうか。
もちろん、そんなことはありませんね。A恵にとって、そこが信用ならないということなのです。
次回、この問題の深刻さ、トラブルの本質をさらに解説いたします。
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