「梵我一如」の普遍性
紀元前8~前6世紀のウッダーラカ・アールニ(Uddalaka Aruni)は、シャーンディリヤの梵我一如をさらに発展させる。シャーンディリヤが「一切はブラフマンである」と言ったように、ウッダーラカも自然界のすべてがブラフマンであるとしたとき、人間も特別なヨーガ瞑想をせずともすでにブラフマンであるとし、熟睡中がブラフマンと合一している状態だとした。
さらに、「火(熱)」「水」「食物」のみっつの原理で仮説を立て、ブラフマンが自然界にどのように存在しているかを語った。火(熱)が水を生み、水が食物を生むというのは、荒唐無稽な妄想のようにみえるが、シャーンディリヤの「極小で極大」がニュートリノの宇宙偏在をいう最先端科学をいうとしたら、ウッダーラカも最先端科学を当てはめてみるのは無駄ではないかもしれない。もし瞑想によるインスピレーションであるなら、言い得て妙となるはずである。
火(熱)から水が生まれるというのはあり得ないようにみえるが、ウッダーラカは宇宙の起源として、ブラフマンからどのように世界が展開したかを話しているので、宇宙のビッグバンや太陽系の始まりを考えたほうがいいかもしれない。
そう考えるなら火または熱はビッグバンや太陽、地球内部のマグマをいうかもしれない。ビッグバンでは水素とヘリウムしか生まなかった。水の原子は水素と酸素でできているが、酸素は引力により水素が集まって中心部に重力で圧縮されたことによる核融合が起こり生成されたという。鉄原子まではこの核融合を起源とする。それより重い原子はII型超新星爆発の繰り返しで生成された。
古代人にとっての世界のすべてである地球に限っていうなら、地球上の水は太陽の熱によってガスと水と土などの固体に分けられた。地球が今以上に太陽に近ければ、水は水蒸気のガスのままであったし、遠ければ氷の固体のままだった。
水から食物が生まれるというのは想像しやすい。我々の食物とは塩以外すべて生物と言っていい。植物や動物は海でのアミノ酸生成を起源として地球全域に広まった。水分がなければ生物は存在できない。
古代の言葉で21世紀の科学を語るなら、ウッダーラカの言っているとおりになる。その意味では瞑想のインスピレーションで真実がおりていたとはいえる。
輪廻転生を初めて取り入れた
もうひとつ、ウッダーラカには功績がある。死後については、インドの先住民から聞いた輪廻転生を取り入れた。
ウッダーラカはそれにもシャーンディリヤの「意向」と瞑想のインスピレーションを追加した。よいおこないをすれば神の道に進んでブラフマンと合一し、悪いおこないをすれば祖霊の道に進んでまた生まれ変わるとした。インド哲学における「因果応報(善因楽果、悪因苦果)」「解脱概念」の誕生である。
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