釈迦のさとるまで

釈迦は、本名をゴータマ・シッダッタ、インドのお経の標準語サンスクリット語の訛りではガウタマ・シッダールタといいます。

ではなぜ釈迦と呼ぶかというと、現在のネパールに住む少数民族の出身で、その民族名がシャーキャ族と呼ばれたからです。もし古代の日本人、倭人と呼ばれていたので倭人ですね。倭人が新しい宗教を開いて、世界宗教になったとき、2千年後にその開祖を「倭様」と呼ぶようなものですね。意外と違和感があります。不思議ですね。

釈迦の伝記では、王子で裕福だったのに、恵まれた生活を捨てて修行に入ったと伝えられていますが、それはあとからの脚色で、実際にはハワイやバイキング、ネイティブ・アメリカンのように、部族長が集まって会議をする政治でした。その部族長の息子だったようです。

釈迦が出家した時代のインドの宗教事情を調べると、仏教のお経ではブラフマン教(バラモン教)の司祭が威張っていたかのように書かれていますが、実際には口伝の経典ヴェーダという伝承を担っているブラフマン教の司祭が正統として威張っていたところ、たくさんの苦行者がウパニシャッドというヴェーダの奥義書を書き始めて、司祭の信用が落ちるという困った事態になっていました。現代の日本の芸人業界にたとえるなら、お笑いの奥義さえ究めれば、吉本興業に属さなくても、サンドウィッチマンのような自分で立ち上げた事務所で有名になれるといったところでしょうか。
M-1グランプリやR-1ぐらんぷり、キングオブコントのような芸人コンテスト番組で優勝すると一躍スターになれますが、そのコンテストにあたるものが、さまざまな学派に議論をもちかけて論破して回るというものでした。テレビはないですから、自分の足で全国ツアーをして、各地で「朝まで生テレビ!」みたいなことを、大衆の前でしたわけです。ディベート大会のようなものですね。

つまり、当時のインドには司祭の血筋ではなくとも、誰でも凄い人になれるチャンスがありました。まさにアメリカン・ドリームならぬ、インディアン・ドリームですね。

釈迦はいきなり全国ツアーしたわけではなく、まずは芸人と同じく有名な師匠のところに弟子入りいたしました。お経で書かれているとおり、実際に存在した有名人のところに弟子入りしたようです。ところが、すぐに奥義をマスターしてしまうので、もっと凄い師匠を探そうと別のところに弟子入りを繰り返すという、まさかの「師匠ハシゴ」をします。

仏教のお経では大袈裟な表現が好まれますので、その見限られた師匠たちを「六師外道」と書いています。一応、有名な師匠であり、他にたくさんの弟子がいるのに外道呼ばわり……。お経は釈迦が亡くなってから100年以上あとに書かれたと言われていますので、釈迦の指示ではないことだけは確かです。

釈迦は師匠ハシゴをしているとはいえ、ひとりの師匠につくと徹底的に修行するものですから、毎回何年もかけています。「六師外道」というとおり、6人も師匠を巡っていると、29歳で出家(家出)した釈迦はもう35歳。人々の苦しみをなくそうと一念発起して修行に入りましたが、苦行苦行の毎日で、さっぱり苦しみがなくなりません。
「苦行には意味がないんじゃないか?」
釈迦は修行を中断し、仲間に別れを告げて、里へおりました。ヘロヘロになりながら川で沐浴したあと、インドボダイジュの下で座禅を組んでいました。そこで有名なスジャーターが現れて、乳粥を供養してくれたんですね。日本では死んだ人に供養しますが、インドでは修行者に供養しますので、まだ釈迦は死んでませんからね。食べ終わって再び川で沐浴してから、同じインドボダイジュの下で座禅を組んで、ついにさとりを開きます。

ここはドラマチックな場面ですから、お経では派手に書かれています。マーラという悪魔がおりてきて、釈迦を恐怖に陥れようとしたり、美女の誘惑で断念させようとしたりします。さとってすぐも、インドの最大勢力の宗教ブラフマン教(ヒンドゥー教の前身)の最高神であるブラフマー(梵天)が現れて、釈迦に布教をお願いしたと書かれています。釈迦がブラフマーに3回お願いされて、3回目で布教を承諾するくだりは、ブラフマン教を受け継いだヒンドゥー教信者から見れば、やりすぎ感が否めません。

やりすぎ感のあるお経では、釈迦が母体の脇から生まれてすぐに7歩あるいて「天上天下唯我独尊」と言ったとか、釈迦の過去生をストーリー仕立てにして、過去生ですでにさとりを誓っていたとか、スターとなっている釈迦の脚色はエスカレートしていきます。三十二相に至っては、手足に水かきがあったとか、体毛がすべて右に渦を巻いていて青かったとか、全身が光っていたとか、歯が40本あったとか、なんでも美味しく食べられるとか、舌がおでこの上の端まで届いたとか、眉間に白い毛があり光っているとか……、この辺でやめておきましょう。

結局、何をさとったのかは、次回、書きましょう。

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